
同じ人間──
今回は、過去作をAI編集で磨くシリーズ。その中で初の【掌編】です。先週の企画「リアルタイム掌編 」のリンクはこちら↓
この企画では、AIにネタのメモだけ渡す → AIが執筆 → 俺が仕上げ、という流れ。自分の作品ではあるけれど、文章タッチや登場キャラの個性はけっこうAI任せで、それはそれで面白かった。
一方今回は、もともと俺が書いていた作品→AIと編集会議→俺が最終調整、という順番。AIの提案どおりに変えると俺が書いたあえて感が失われるので、結局は何時間もかけて自分で書き直しました。
過去作(たぶん6年前)を見返して思うのは、詩はあんまり直すところがないってこと。歌詞みたいなものだから、いまの自分に合わせてリズムを整える──それで十分、作品として立つ。
一方で掌編はお話。導入→フリ→オチの骨組みをちゃんと設計して、どこを長めに見せればオチの落差が効くか……みたいな計算が必要で、ここが結構たいへんだった。
要するに、詩に比べると、俺の要求水準(というか見る目)が数段上がってて、昔の掌編の構成がいかに素人っぽかったかがよくわかった。書いた当時は「本職はミュージシャン、作詞家だしー」みたいなナメた感じもあったし、そりゃ当然か。
いまは長編をAI編集と並走で書いているおかげで、お話の筋力がだいぶ付いてきた実感がある。これもやっぱりAIのおかげ──AI武装の成果だな、とブログタイトルをうまく回収しておく。
『同じ人間』の原文は一応手元にありますが、出しても粗が残った“同じ話”になるだけだと思ったので、今回は掲載しません。
その代わり、当時の執筆ログを。作中に出てくるスタジアムは、味の素スタジアムのことです。俺は京王線(井の頭線含む)沿いに住んでいた時期が長くて、「これ、何のイベント?」って人ごみに遭遇することがよくあった。あれが、この話を書き始めたきっかけでした。
いっぱいの美少女──というイメージは、作品をちゃんと見たわけじゃないけど、昔『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイに「そういう設定があるらしい」と人づてに聞いた記憶が、どこかで反映されたんだと思う。
念のため書いておくと、俺自身はこの掌編の主人公みたいにスケベ心は湧きません。そもそも“アニメ系の女の子”にエロスを感じないタイプで、あの状況に遭遇したら、スケベを経由せず即ホラー。笑
それと、綾波レイの話を聞いたときに思ったのは、『エヴァ』はたぶん俺の感性とは少し距離があるんだろうな、ってこと。小学生のころにTVで放送していたからビジュアルは知ってたけど、その女の子が”たくさんいる”という感じがちょっと──。
そこからですね、アニメが俺から離れていったのは。
『ドラゴンボール』、『SLAM DUNK』、『幽☆遊☆白書』にかぶりついていた俺を変えた分岐点は、間違いなく『エヴァンゲリオン』。なんか合わなかった。
それが後の“オタク文化”の走りになった気もして、“秋葉原”の水が合わない理由はここにあるんだと思う。
とにかく、俺にとってはターニングポイント級の『エヴァンゲリオン』。でも、今後もたぶん見ない。──昔、パチンコは打ってたけど。笑
そういう目線でこの作品を改めて見ると、俺の趣味嗜好はほとんど反映されていない。むしろ、あえて逆をやっているなと感じます。
詩は歌詞と同じく自分の思想そのものに近いけれど、掌編はフィクションに徹している。
モチーフも「美少女」「クローン」「アンドロイド」「ラスボス」、そしてホラー落ち──少しサブカル寄りで、SNS受けまで狙ってるっぽく見える。でも当時はまったく意識していないし、そもそもSNSもやってなかったはず。
多分、フィクションを書くときの俺は、めちゃくちゃ客観的になる。少しでも主観が入ると、その客観の精度を下げるから。“自分”を外したほうが短い話は書きやすい。これは、これから書いてみたい人への良いアドバイスだと思う。
ただし長編は別物。長編にはある程度の思想が必要で、完全に客観で通すと、きっとつまらない作品になる。ここは断言しておきます。
これからも、noteで掌編の過去作をAIと編集して公開していくつもりです。なので過去作ストックを見返すと、圧倒的に今回みたいな”ダークオチ”が多くて、『世にも奇妙な物語』風の話が目立つんだよね。
不思議なのは、コアなファンってほど『世にも奇妙な物語』を観てきたわけでもないのに、いざオチを考えるとそっちに寄ってしまうこと。たぶん最後にゾクッとさせたい欲が強いんだと思う。
一方で、俺が心底好きなのは『いま、会いにゆきます』とか『トイ・ストーリー3』みたいな、“悲しいんだけど、その中では最高のラスト”。2つとも号泣しちゃうのは、感動作だからじゃなく、納得のいくラスト。「よく創ったなあこれ。」が俺の涙腺を刺激するんです。でもそれを書くには、ある程度の文字数と制作期間が必須。
俺の“長編”はそのラストを目指して書きます。
ああ──だから短い”掌編”は、ホラーやミステリー寄りになっちゃうのかな。
でも、先週・先々週と話題にした雨穴さんの作品は、サブカル感のある長編ミステリーホラーなんだよね。普段はその手をあまり見ないのに、なぜか好き。
こんな言い方をすると、人気作家を持ち出して「おまえ程度が何言ってんだ」と言われそうだけど、物語の組み立てに”同じにおい”を感じる。むしろ趣味嗜好が逆だからこそ、作り手としての”同類感”があるというか。
登場人物を不幸にするぶん、そこにきちんと愛情がある感じがする。描いていない部分まで、登場人物の気持ちやこれまでの境遇をリアルに想像して積むタイプ──だから、ホラーなのにどこかあたたかい。不思議。心霊っぽい入りでも、お化けは出てこないからかもしれない。
また雨穴脱線しましたが、この【掌編】──あ、回遊性、回遊性↓。
note作品集版はこちら
意味、伝わりましたか? 最初と最後のほぼ同じ文の違い。
「わかったけど、で、結局なに?」となるタイプの作品ですが、そこを味わってほしい。
まあ仮に俺が”読者”として読むなら、この【掌編】は、みんなが“同じ人間”になっていく現象が世界を呑み込む、その“序章”。
その読みを前提にすれば、このサブカル的な思潮が世界を席巻していく──という、6年前の“作者”の“恐怖”がにじんでいるのかもしれない。
【新世紀エヴァンゲリオン】
- まずは視聴ルート(短・中・長)
・最短で全体像:”新劇場版”4作(序→破→Q→シン)。
・原点から濃く:TV全26話(1995–96)→劇場版『THE END OF EVANGELION(Air/まごころを、君に)』。
・全部味わう:TV→旧劇→新劇(新劇は「再解釈/別ルート」と捉えると混乱が減る)。 - 物語の核とキーワードの掴み方
・テーマの中心は”個と他者”、”孤と補完”(人類補完計画=皆を同化させて孤独を消す発想)。
・エヴァ=兵器であり”母”のメタファ。パイロットの年齢/親子関係が痛点。
・ATフィールド=”心の壁”の可視化。戦闘は心理の衝突として読むと腑に落ちる。
・宗教記号は世界観の”リアル設定”よりも、記号的・象徴的な演出として機能している。 - 初見のコツ(楽しみ方の指針)
・「全部を理解する」より、キャラの感情線(シンジ/レイ/アスカ/ミサト/ゲンドウ)の揺れを追う。
・音楽と編集に注目:OP「残酷な天使のテーゼ」、鷺巣詩郎の劇伴、要所の挿入歌が心情を増幅。
・旧劇は痛烈な刃、新劇は総決算と出口──ラストのタッチの違いを楽しむ。
・年齢や経験で見え方が変わる作品。再視聴で”別の物語”に更新されるタイプ。



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